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明の十三陵

明の十三陵は、明の第3代の『永楽帝』から末代の16『崇禎帝』までの13人の皇帝とその皇后が葬られた陵墓群です。北京市内から北へ約50kmの、『天寿山』の南の山麓に点在しており、中国に現存する最大の皇帝陵墓群でもあります。発掘調査の後に、内部が公開され、地下27メートルに造られた石室には、棺や副葬品が置かれたので、地下宮殿とも呼ばれています。現在、一般公開されているのは『長陵』、『昭陵』及び『定陵』です。
『長陵』は成祖永楽帝と皇后の陵墓で、13陵の中で最大、最古のものです。『昭陵』は12代皇帝『隆慶帝』の墓です。『定陵』は第14代『万暦帝』と2人の皇后の陵墓です。
又、朱棣は自分のために陵墓の場所を選び、最終的に北京西北郊外の景色が美しく、しかも攻撃しにくい地形であることから、自分の陵墓の場所として、『長陵』と名づけました。十三陵は、成祖-永楽帝の長陵を中心として、その他12の陵墓が東西に点在しています。
明の初代皇帝の『朱元璋』は、中国東部の南京を都と定め、朱元璋の死後、皇帝の孫の『朱允文』が皇位を継ぎ、年号は「建文」、建文帝と名乗りました。『建文帝』は、朝廷の安全を守る為、藩の勢力を弱めようとする政策を取りました。それは、藩王たちの利益を犯すことになり、反感を買いました。ちょうどその頃、『朱元璋』の四番目の息子である四子燕王-『朱棣』は大軍を率いて帝位を奪い取ろうと画策しました。朱棣は「建文帝の政策に同意できない」との口実をたてに、兵を起こしました。
四年の戦いを経て、朱棣は建文帝の帝位を奪い、明の成祖-永楽帝となりました。朱棣は即位した後、南京は不安定だと思い、都を北京に移しました。朱棣の在位期間中、学士に『永楽大典』を編纂させ、1405 (永楽3年) 年から1424(永楽22年) 年、鄭和に命じ、船隊を率いて、アジア・アフリカの30カ国を探訪させました。これは、『鄭和下西洋』と言われています。